火葬場の麓で

僕が小学生低学年の頃まで過ごした町にあった火葬場の麓に、平屋建ての県営だか市営だかの長屋群があった。

幼稚園の頃のその長屋に住む友人と、長屋群の近くで遊んでいた。
そこに今ではなかなかみかけられないだろう昭和の匂いを感じさせるランニングシャツ姿の少年たちが3人くらい現れて走ってきた。
友人は顔が青ざめて、「早く逃げよう」と言い出し、いっしょになぜか逃げた。


小学生にあがり、色んな幼稚園や保育園から子供たちが入ってきた。
その長屋群に住む子供たちも何人かいて、さほどかかわりもなく時は過ぎていった。

秋くらいに今まで日本人の苗字だったその長屋群に住む女の子の一人が韓国風の苗字に代わった。担任の教師が少し深刻そうに帰りの会だかに、その件にふれて、そのことについて彼女に質問したりしないように釘をさした。当時の僕らの担任は40代の女性でおばさんパーマをあてていて、ヒステリックに毎日、怒って、我々、生徒たちに命令口調で接することが多かった。
実に気分屋で言ってることもぶれる事が多く、僕らは顔色を伺いながら過ごしていたように思う。

今、考えると僕がその後、あまり教師と親密になろうとしなかった根元には小学1年の担任の印象があったのだろうと思う。

冬になりその長屋に住むクラスメイトの男の子の父親が急死したと知らされた。
死因は知らない。そのクラスメイトの男の子は幼稚園の頃にランニングシャツで僕らを追いかけてきた少年だ。

その数ヵ月後、僕らは週末にあったことを作文を書かされた。
父を亡くした彼は母親が夜中まで内職でミシン仕事をしていたエピソードを作文に書き、ヒステリックな女性担任に絶賛され皆の前で音読させられた。
彼は作文を読みながら涙を流した。担任の女性教師も目を真っ赤にしながら号泣した。
それにつられたからか、女性教師に合わせて迎合する意味もあったわからないが、何人かの生徒も泣き始めたり、下を向いて泣いてるような素振りをする者も続出した。


僕は小学生低学年まで関西のある地方で過ごした。
大人にならないとわからない複雑な事情や社会に存在する差別、ましてや公的職に就くことが利権構造の一部になりえることなども当時は何も知らなかった。

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