バス運転手の言葉遣いが気になる

帰宅時にいつものバス停でバスを待っていた。
近くにあるスーパーの焼き鳥屋台で、中学生か高校生のメガネ少年が焼き鳥を買って、
バス停のベンチの僕の隣に座った。
焼き鳥の肉は以前、目撃したことがあるのだが、大型パックに入った焼き鳥用の激安の冷凍輸入肉である。たしか、ブラジル産かタイ産だったように思う。
近くにある業務用スーパーで激安で売っていて、原価は5%以下じゃないだろうか?

材料を知ってしまった僕にとって、この焼き鳥を購入しようと思う意欲は皆無である。

少年は野球部がよくもっているような大きな鞄を持っていて、スポーツ刈りだった。
しかも、素人の僕からみても補欠だろうなぁと思う風体であった。

僕の隣でタレがタップリとついた焼き鳥を無表情で食べていた。
夕食前の軽い腹ごしらえといったところだろうか・・・

しばらくするとバスが来た。

少年はまだ、焼き鳥を食べ切っていない。
この焼き鳥は紙コップに入れられていた。


焼き鳥を持ったままバスに入るのか?が気になった。


大人の僕の常識からいえば路線バスに焼き鳥を持って入ることは大人のマナーから外れている。

少年は、そんな僕の心配とは無関係に普通にバスに乗った。
運転手が注意するのかどうか緊張がはしったが、焼き鳥については何もいわれなかった。

少年はパスモかスイカをかざしたが、かざし方が悪かったのかバス運賃を払えずにいた。
運転手はぶっきらぼうに「もう一回、かざして」と命令した。
少年は無言でもう一度、かざした。
運転手は「はい、OK」とぶっきら棒に言った。



以前、朝、僕がバスに乗るときにバス停まであと50メートルくらいのところでバスが来た。
僕はダッシュした。運転手は僕に気付いたようで何秒か待ってくれた。
僕は飛び乗ったが財布から運賃がなかなかとれずに、マゴマゴしてしまった。
運転手は不機嫌そうに「いっていい?」と言って来た。
僕は「はい」と答えた。


バスの運転手にとって乗客は客なのだろうか?
言葉遣いに対する配慮はないだろうか?
乗せてやっているという意識でもあるのだろうか?
年齢だったり、見た目で言葉遣いをかえていないだろうか?


僕はバス運転手に良い印象がない。

たかがコンビニの接客とはいえない


よく立ち寄るコンビニがある。
駐車場が広く入れやすいのが凄く良い。
ただ、不満はある。
下の方の棚の商品の埃や、トイレの洗面台の周りのシブキや水垢、
店員の態度や接客である。

具体的に接客ではよくレジにいるおばさん店員が「〜円ですね」と「ね」をつける点だ。
たかが「ね」だが、「お客様は神様」という定義にもとづくと、ほっとくわけにはいかない不要な「ね」である。
とにかく、なんだか、かんにさわる(怒)

他にレジで客が並んでいるのに悠々と隣のレジでレジトレーニングを新人にやっていたり、
お金の受け渡しが雑だったりと色々、指摘すべき点がある。


数百メートル離れた場所に他にコンビニがある。
僕は駐車場が入れにくい関係であまり行かないが、60代以上の熟年男性や主婦層の常連が多いコンビニがある。
昼時なんかは込み合っていて、売れているコンビニという感じがいつもする。

普通のコンビニと熱気が違う。


熟年男性や主婦のハートを掴んでいる理由を客目線で考えてみた。
やはり接客が違う。
ある時、私がコピーをしに立ち寄った。
ちゃんとセットができてなかったらしく、コピーできずに真っ白だった。
レジの店員に伝えるとレジから10円とって、サイズを僕に訊いてきて、綺麗にコピーしてくれた。
その動きや対応は迅速で早い。
トイレに水しぶきや水垢はない。心地よい芳香剤の匂いがトイレ内が漂っている。
棚の下の方の商品に埃なんてない。
僕の行く時間はここの店員はほとんど30〜50代の主婦がメインである。

冒頭の僕が良く行く店のほうが店の面積や駐車場も広いが、こちらの方が客はあきらかに多い。


フリーターの嫉妬

大学生の頃だった。
フリーターの友人と話をしていたことがあった。


彼いわく、
「新宿のコマ劇場前の広場で大学生のコンパ集団やサークル集団が酔っ払って騒いでいてうざい。
学生なんだから勉強してればいんだよ。」


俺、「おもいっきり楽しんで、遊んで、仲間と群れて、馬鹿騒ぎするのも社会に入ってから大事なんじゃないかな?特に日本の企業に就職するような人間は自分の本音を殺して、周りに迎合することを求められることも多いんだから。」


彼、「いいんだよ。学生は勉強してろって!」


俺、「お前、自分が馬鹿で大学いけねえからって、大学生に嫉妬してるなんて、みっともねえぞ!」


彼、「別に大学なんか行きたくねえよ」


俺、「そのくせ、おまえ、中学の頃、自分の姉ちゃんが大学に合格した時、皆にいいまくってたじゃねえか」


彼、「別にいいまくってねえよ」


しばし、沈黙が続いた。
彼とはその後、疎遠になっていった。


彼のプライドを傷つけてしまった。
若き日の思い出である。

「北の国から」で岩城滉一 が吉岡演じる純に「男はプライドで生きている」みたいなことを言っていた。


学歴って大事ですか?



大学時代、合コンの幹事をした。

相手は中学時代の同級生の女の子とそのバイト友達たちである。

僕の方は「ルックスの良い男を集めて」というリクエストだったので、自分なりに苦労して集めた。

合コンが始まり、自己紹介が始まった。
それが終ると女性陣がトイレへ消えていった。

盛り上がることなく電話番号やメール交換もなく短時間で終ってしまった。
女の子たちはよそよそしく、不満顔で、「私はいいや」というコメントを連発していた。

その後、同級生の子と電話で話した。



「なぜ、大学の友達を呼ばなかったの?」
「こっちは一応、大学生なんだから、それなりに合わせてもらわないとつりあわないジャン。」
「皆、シレケテタヨ」


僕が呼んだ友人たちは整備士や運送業、服屋の店員、コンビニのフリーターだった。


後日、呼んだ友人たちの内の何人かと、その合コンの話をした。

「これからどうするの?」
「今の状況を親とかって何もいわなかったの?」など失礼な質問をされたそうだ。

僕は平謝りした。

その後、その同級生の女の子とも彼らとも疎遠になっていった。


まだ、高校生だった時、その同級生の女の子が誇らしげに「私のお兄ちゃんは〜大学で頭がイイの」と話していたことを思い出した。

mixi 女同士の褒めあい紹介文

mixiで母校のコミュを覗いてみた。

同級生らしき女の子が何人もいたのでみてみると、ほとんどの女の子の紹介文に、リアル友からの紹介文が書いてあるのだが、
歯の浮くような褒め言葉が怒涛のごとく書いてあった。

「スタイルが良くてモデルのようでうらやましい」
「生まれ変わったら〜のようになりたい」
「頭がよく華がある」
「おしゃれで何をきても似合うのでうらやましい」
「純粋な奴 素直な奴」
「話をじーーーーっくり聞いてくれる心の優すぃ〜女の子でございます」



性格的な長所を褒めるのならわかるけど、ルックス的なものには、現実を知る人間からみたら、
???な部分は実に多いので、「うらやましい」とかいうのが嘘っぽく思えてしまう。


デブで不細工なお笑い女芸人をみて、客席の女が「かわいい」という感覚に近いのだろうか?


なんしても、私はオーバーな表現をする人間がしらじらしく思えてしまう。
仕事場でも、たいして大変でもない仕事を自分がいかに大変で、がんばっているかをオーバーに主張する人がいる。

女同士の褒めあいは実にしらじらしさを感じずにいられない。
もちろん、批判的なことばかり言う人間である必要もない。

無理して褒めることもないし、人に嫌な思いをさせてまで批判をする必要もない。
別に何も形容しなくてもいいんじゃないだろうか?


まぁ、でも、歯の浮くような嘘っぽい褒め言葉を言える人間って、出世しそうな感じはする。
ただ、私はストレスがたまるので無理だけど・・・

宅配便業者の横暴

12時ちょい前に電話が来た。
某大手宅配便業者であった。
内容を要約すると「時間指定している荷物を時間前だが持ってきていいか?」ということらしい。
まぁ、別にとりあえず家にいるのでOKした。
そしたら、こんどは「何時くらいまでいるか?」と聞いてきた。
とりあえず、2〜3時間はいると答えた。


電話を切り、TVを眺めながらふと思った。


そもそも時間指定している荷物を電話かけてきて持ってくる行為自体どうなのだろうか?
例えば、その荷物は内緒のプレゼントかもしれない。あるいは家族に知られたくないので時間指定しているのかもしれない。そのリスクは完全に無視なのだろうか?

今回の電話でさらに腹が立ったのが何時くらいまで家にいるか?と尋ねてきたことだった。
結局、他の家も回ったり自分の都合の良い時間に来たい為にきいているだけではないか?
もっといえば、その荷物が少し大きかったので荷台で邪魔になって他の荷物を取り出したりするのに邪魔だからなのも容易に想像がつく。荷物が軽くて小さければ電話をかけてきてまで配達しようと思わなかった可能性も高い。


ちなみにこの荷物は私が頼んだものではない。


気が向いたら、そのことを本部にメールをして質問してみようと思う。
私は器の小さい人間だろうか?

水谷豊の歌について

最近、TVでちょこちょこ歌っているが、あれはちょっと酷いように思う。
素人のカラオケでもあれよりマシな人は凄く多いレベルである。
だから、TVで歌っても司会者や出演者は歌唱力はもちろんのこと、歌そのものについてのコメントはしない。

藤木直人も酷いと思ったけど、豊も想像以上である。

本人は断れなかったのだろうか?
あのレベルだったら僕なら恥ずかしくて人前では絶対に歌えない。

水谷豊はシャイでインタビューなども極力、避けてきたとTVで何度かきいたことがある。
インタビューで恥ずかしがるのに、どうして、あの歌唱力でTVで歌えるのか疑問に思った。

ただ、かつて水谷豊が先生や刑事役で活躍していた頃のドラマをみていた世代の一部の人たちには
「カリフォルニアコネクション」はたまらないのだろう・・・


ちなみに水谷豊は共演した外国人のミッキー・マッケンジーと結婚していた時期があるそうだが、誰だろうか?


ハゲは差別用語なのか?

今日、帰宅時にいつものバスに乗り込んだ。
バスが走り出した。
走り出したバスから50メートル離れた後方からハゲ親父がダッシュしてきたが、無情にも僕らを乗せたバスは走り去っていった。

でも、ハゲ親父は満足げな笑顔に溢れていた。
その笑顔は乗り遅れたけどまだまだ俺もやれるぞという自信のあらわれなのか?走ったけど駄目だった恥ずかしさからなのかは知らない。
ただ、素晴らしく気持ちの良い笑顔で、今日、僕がみた一番の笑顔だったのは間違いない。
ちなみに2番目はちびっこを連れた買い物帰りの30歳位の女性がちびっこにみせた笑顔だった。

ところでハゲは昔から笑いの対象である。
TVでもハゲかつらをかぶったコメディアンがハゲで笑いをとることもあるし、討論番組でフェミニストのおばちゃんが「ハゲ」と言うこともある。


しかし、ふと思うのだが,ハゲは差別用語にならないのだろうか?

女性差別、外国人差別、障害者差別、階級差別、職業差別・・・

いろんな差別があるが、ハゲは笑いの対象になりつづけている。

理由を考えたが、やはり、ハゲ同士が団結して団体などをつくっていないのが大きいのかなぁと思う。

将来的にハゲがハゲの人権を守り、ハゲ差別の撤廃を求めてハゲ団体を作ったらどうなるだろうか?
ハゲてるひとは多いのかなりの巨大な圧力団体になるのではないか?

きっと、政党はハゲに配慮した政策を打ち出して、ハゲが暮らしやすい社会を実現するとか言い出して、ハゲ優遇の社会になるかもしれない。
そうなると、ハゲであることを利用する輩もでてきて、エセのハゲが出てきて、ハゲ利権なるものもでてくるかもしれない。もっと、進むとハゲの一流スポーツ選手がかっこいいと言い出して、ハゲであることがステータスになるかもしれない。


まぁ、そんなことはないと思うけど、ハゲが差別用語になる日は来るのだろうか?とバスの中でふと思った。




TVを観てても、余計なことを考えてしまう自分

昨日、NHKを観ていたら、中東のオイルマネー目当てに日本のゼネコンが寿司パーティーの接待を会長自らが行っている場面が映し出されていた。

日本から空輸した最高のネタを会長の奥様が、社員の奥様連中を陣頭指揮し、奥様方が握って社会的地位の高いアラブ人たちに寿司を食わせていた。

アラブ人たちは嬉しかったのだろうか?
僕なら素人のおばさんが握った寿司などは食べたいとも思わない。
僕が会長だったら自分の社員の奥様たちの気持ちを考えて、こんなことはさせないと思う。
(出世欲の強い奥様なら喜んでアラブまで来ているだろうが・・・ 実際に、そうかもしれないけど・・・)

でも、本当にアラブ人たち的には嬉しかったのだろうか?
一流の寿司職人をよんで、握ってもらった方が良かったのではないか?
それよりも、アラブ人的には寿司なんて嬉しいのだろうか?

ゴルフのマスターズでは前年の優勝者が試合前の特定の選手だけが参加できるパーティーみたいなのの昼食だかのメニューを決められて、それを参加者全員が食べなくちゃいけなくて、日本食みたいなのをオーダーした選手がいて、生魚が嫌いな選手もいたとかいうエピソードをテレビでみたことがある。


それにしても超一流企業の幹部職の奥様は大変だなぁと感じましたよ。
きっとお歳暮とかも凄いものを送るんでしょうね。
会長の奥様なんかも買い物とかはデパートの外商みたいなのが来て買い物とかするんかなぁ?


でも、素人の握った寿司って寿司っていえるのかな?
おにぎりに刺身乗っけただけじゃないかな?

運動会の思い出


小学低学年の頃の運動会は家族も観に来て、いっしょに弁当を食べた。
祖父母や親戚も応援に来て賑やかな運動会だった。
今では色んな家庭の事情があり、家族と昼食を運動会でとるスタイルはほとんどなくなったように思う。


小学2年生の僕のクラスメイトに痩せていて肌が浅黒い少年がいた。
弟がいて3歳年上の兄がいた。
木造の古い一軒家に住んでいたが、父親はいなくて、母親は別の場所に住んでいて、祖母と4人暮らしだった。彼の祖母は当時、既に少なくとも70代以上だったように思う。
あとで知った話だが、彼の父親は外国人だったそうだ。

運動会の時、彼ら4人家族は小さなシートでこじんまりと質素な弁当を食べていた。
当時の運動会は一大イベントで、それぞれの家族がご馳走を作ってきて、笑顔が溢れていたが、彼ら家族には笑顔はなかった。

他の子供たちは弁当を食べると家族が持ってきた菓子を食べたり、ジュース飲んだり、家族に友達と写真を撮ってもらったりと大騒ぎだった。

彼らにおやつもジュースもなかった。

ただ、黙々と昼休みが過ぎるのを待っているかのようだった。

子供は時に残酷である。

上の兄のクラスメイトたちがその姿を目撃し、自分たちのお菓子をみせびらかしにきて、からかい始め、走り去っていった。

彼らも彼らの祖母も何も言わず、少し寂しげな表情だった。

幼稚園児も含む、彼らの幼い心にどのような傷を負わせたのか想像がつくと思う。
非常に辛い思いをしたことだろう。


その様子をみていた近くの家族の母親がお菓子とジュースを持ってきた。
彼らの祖母は背中を丸め、何度も何度も頭を下げてお菓子を貰って、子供たちに分け与えた。


そのクラスメイトは算数がついていけずに学年で二人しかいない補習の特別授業を受けていた。
幼い僕らはその理由が良くわからなかったが、担任教師の言われるままにその授業に向かう彼に「いってらっしゃーい」と笑顔で毎回、送り出していた。

火葬場の麓で

僕が小学生低学年の頃まで過ごした町にあった火葬場の麓に、平屋建ての県営だか市営だかの長屋群があった。

幼稚園の頃のその長屋に住む友人と、長屋群の近くで遊んでいた。
そこに今ではなかなかみかけられないだろう昭和の匂いを感じさせるランニングシャツ姿の少年たちが3人くらい現れて走ってきた。
友人は顔が青ざめて、「早く逃げよう」と言い出し、いっしょになぜか逃げた。


小学生にあがり、色んな幼稚園や保育園から子供たちが入ってきた。
その長屋群に住む子供たちも何人かいて、さほどかかわりもなく時は過ぎていった。

秋くらいに今まで日本人の苗字だったその長屋群に住む女の子の一人が韓国風の苗字に代わった。担任の教師が少し深刻そうに帰りの会だかに、その件にふれて、そのことについて彼女に質問したりしないように釘をさした。当時の僕らの担任は40代の女性でおばさんパーマをあてていて、ヒステリックに毎日、怒って、我々、生徒たちに命令口調で接することが多かった。
実に気分屋で言ってることもぶれる事が多く、僕らは顔色を伺いながら過ごしていたように思う。

今、考えると僕がその後、あまり教師と親密になろうとしなかった根元には小学1年の担任の印象があったのだろうと思う。

冬になりその長屋に住むクラスメイトの男の子の父親が急死したと知らされた。
死因は知らない。そのクラスメイトの男の子は幼稚園の頃にランニングシャツで僕らを追いかけてきた少年だ。

その数ヵ月後、僕らは週末にあったことを作文を書かされた。
父を亡くした彼は母親が夜中まで内職でミシン仕事をしていたエピソードを作文に書き、ヒステリックな女性担任に絶賛され皆の前で音読させられた。
彼は作文を読みながら涙を流した。担任の女性教師も目を真っ赤にしながら号泣した。
それにつられたからか、女性教師に合わせて迎合する意味もあったわからないが、何人かの生徒も泣き始めたり、下を向いて泣いてるような素振りをする者も続出した。


僕は小学生低学年まで関西のある地方で過ごした。
大人にならないとわからない複雑な事情や社会に存在する差別、ましてや公的職に就くことが利権構造の一部になりえることなども当時は何も知らなかった。

某中古本チェーンでの新人教育場面

某大型中古本チェーンに行った。

仕事の合間の暇つぶしに読むエッセイ系の文庫本を買うためだった。

僕から少しはなれたところで店員二人が作業をしながら話していた。

少し話の内容が聞こえてきた。

あくまでも想像だが
一人はアルバイト歴の多少長いフリーターで20代後半から30代前半のメガネをかけた気難しそうな感じの男性。もう一人は20歳ちょいの新人さんで茶髪だった。


ベテランの方が人生についてのアドバイスやら生き方を例に出して、作業を教えていた。
非常に恩着せがましくアドヴァイスしてやっていた。
新人の方は口では「はい。はい。」と言ってるが、なぜ、お前に私生活についてアドヴァイスされなくちゃいけないだと、言わんばかりの表情もたまにみせていた。


少し僕が近づいていったら、ベテランの方はバツの悪そうな表情を浮かべて話をやめてしまった。
新人の方もこんな奴に説教されている自分を他人にみられて恥ずかしいといいたげな様子だった。


また、少し僕が離れたらまた、指導が始まった。
「君もそう思うだろう?〜大事なんだから。〜も人生もいっしょだろ?」・・・


どんな仕事でもそうだが、仕事そのものより、こういった面倒くさい人間と関わることの方がストレスを感じ苦労する場合が多々ある。特に日本では勤続年数、年齢、職位、学歴で、それぞれの常識の元に上下関係を形成するのでそれがずれた者同士が接しあうと、そこでもストレスが生じる。


1時間近く店にいたが、まだ指導は続いていた。メガネのベテランは実に満足げな表情に満ち溢れていた。


おなら一つで絶交

小学4年生の頃だったと思う。
体育の授業中、教師が前に立って話している間、生徒たちがグラウンドで座らされている、もしくはしゃがまされている状態の時だった。
おならがしたくなり、周りにばれないようにすかそうとして、本当に小さく出てしまった。

僕の後ろにいた当時、よく遊んでいたクラスメイトに気付かれてしまった。

その何十分後かに、「さっき、おならしたでしょう?」と問われたが、僕は無言で通した。

それから数週間の間、彼は何かあるたびに「おならのことを皆にいおう」と脅してきた。

小学生にとって、おならとかウンチは恥ずかしいこと、この上ないし、そのことで冷やかしの対象になることは容易に予想できた。

力では僕の方が上だったら、人に対してずけずけ言えるタイプではなかったので前から立場は僕の方が下だった。
そんな微妙な関係もあり、学校に行くのが当時は本当に嫌だった。
でも、このままだとずっと、脅し続けられるので僕は意を決して、彼が今後、何を話しかけてきても一切、無視をすることに決めた。

最初は色々、話しかけてきたり例のおならの話もしてきたが一切無視して、以来、クラス替えがあるまで一切、関わらなくなった。

その後、5年生でクラス替えがあり彼とはクラスが変わった。
僕は成長が早い方でこの頃は身長も大きく、筋肉質で同級生とならけんかをして負けないくらいの体格になってしまっていた。

六年生の頃だっただろうか?

例の彼のクラスには素行の悪い連中が多くて、小学生にして不良集団みたいなのが出来ていた。

ある時の休み時間、自分の教室から出てきた僕に対して、例の彼とその友人の不良三人が僕を囲んで胸倉を掴んできた。
当時の僕はけんかには自信があったのですぐさま、四人に反撃した。
はっきりいって、大人と子供くらいの体格さがあったので、相手にならなかった。

以来、彼は中学にあがり、以前よりより一層不良になったが、僕には一切、関わってこなくなった。
ちなみにその不良グループの内の一人は、中学一年生の最初の頃、体育館で僕に絡んできて、僕は馬乗りになって殴りつけ、やりすぎというくらいやりすぎた。
また、おならを脅してきた彼と他の小学校から入学して新しく友達になった不良仲間もなぜか、僕に絡んできて、ことごとくやっつけた。ある時はグラウンドの地面に顔を押し付けたこともある。

僕は彼らからやりすぎると何度かいわれた。

小学5年〜中学3年生くらいまでの僕は喧嘩には自信があった。

ただ、不良少年でもなかったし、オタクといわれるような感じのタイプの同級生や、がり勉タイプの同級生でも、普通に付き合ったし、不良に対してもオタクに対しても同じように話し、接したのは僕の当時の長所だったのではないか?と思う。

当時の僕は一目置かれた存在だったのであ〜る♪

夏の思い出

小中学生の頃の夏休みは父方の田舎の祖父母の家で長期間滞在することが多かった。

僕が中学一年生の夏休みの頃だったと思う。
祖母が「夏休みにきちんと勉強させなくちゃいけない」と言い出し、近所で評判の塾の夏期講習に僕を通わせると言い出した。

自転車で祖母と一緒に平屋建ての田んぼの脇にある評判の塾に炎天下の中、行った。
祖母は化粧をし、相当に気合をいれていた。
僕は塾の外で待っていた。

祖母は顔をこわばらせて塾から出てきた。
僕はだいたい察しがついたので何も聞かずに一緒に祖母と自転車で帰った。
帰りに駄菓子屋でアイスキャンディーを買ってもらい、かじりながら自転車を漕いだ。

その後も僕は夏休みに田舎で夏期講習に通うことはなかった。
考えると悲しくなるので大人になるまで、そのことについて考えることはなかった。



その塾は一時間当たり2000円かかるそうだ。
祖父母は自営業をしていてボロボロの木造建築の家に住んでいて裕福ではなかった。
一時間当たり2000円の費用はとても払えなかった。

今、思えばそんな状況の祖母をみっともなく恥ずかしいと当時は思っていたように思う。
子供の時もそうだったし、今もそうだが貧乏であることに対するコンプレックスは強い自分がいる。

当時、祖母はどんな気持ちだったのだろうか?



友達のお母さん

小学2年生の頃、仲の良い友人がいた。
ある時、彼が同級生と喧嘩して、けんかに負けて下校中ずっと、泣いていた。

僕は泣く彼を励ましながら一緒に帰っていた。


その週末かその次の週末だったかに彼と遊ぶ約束をしていて、彼の家に行った。

彼より彼の母親が先に出てきて、僕に彼の母親が鬼の形相で言った。
「うちの息子が可愛がってくれたみたいだね。」と・・・


あの時の帰り道、彼の近所のおばさんが泣く彼と一緒に帰る僕を見ていたことを思い出した。
勘違いされたのだ。でも、なぜか、その時、僕は何も言えなかった。

その日は彼と普通に遊んだが、しばらくして、彼に彼の母親に言われたことを伝えたが、彼は自分の母親がそんなことを言うはずはないと強く否定した。
僕はそんな彼を許せずに殴って泣かしてしまった。

その後、ひょんなことから担任の教師に彼がやってきた万引きなどの悪事を全部ばらしてしまった。
ことは大げさになり、彼は担任の教師にに叱責されて母親を呼び出されて大事になった。

その後も彼と遊んだが、彼の母親は完全に僕を敵対するようになった。




その数年後、彼の父親がガンで急死した。
彼の母親は懸命に働いて、彼と彼の二人の弟を養い、残った家のローンを一生懸命かえしていった。



彼の母親はサモハンキンポーにそっくりで僕はケインコスギみるたびに、当時のことを思い出す。
ケインコスギは秋葉原で若い頃、サモハンキンポーの息子と遊んでいたエピソードをTVで披露していたからだ。

ところで「サモハンキンポー」は「サモ・ハン・キンポー」なのか?
「サモハン・キンポー」なのか?

ちょっと気になったけど、別に調べるまでもないか・・・



スーパーの前で



いつも利用するバス停の前にスーパーがある。

店の前のスペースを色んな業者に貸していて店が出ている。

今日は漬物&乾物の店が出ていた。

150センチくらいの小さな70過ぎのおじさんが酢の物を割り箸で挟んでスーパーから出てくる客に、「味見しろ」と言いたげな顔をしながら無言で差し出していた。
客のほとんどは迷惑そうな顔で避けて通っていた。

しばらく、みていたが、まるで足を止める人はいなかった。



このスーパーの前のスペースにお好み焼きや焼き蕎麦や大判焼きや焼き鳥のの店も出店している。
(以前、夜に通りかかった時にブラジル産と書いた大きなパックの業務用の冷凍の焼き鶏用の鶏肉が出店の横に置いていた。)

夕方の時間にあごがしゃくれた女子高生が店番をしていることがよくある。
夜になるとそっくりのあごがしゃくれたおばさんが店番をしていることがある。
似ていないがおじさんの時もある。



夜の11時ごろ、その出店に、見るからにその方面の方が、しゃくれたおばさんと談笑していた。
その方面の方の風貌はストライプのスーツにエナメルのベルト、ちりちりのショートパンチだった。
身体をゆすりながら、なにやら談笑していた。

ちなみにそのスーパーの本業はパチンコ屋である。


生きていくって大変である。



野口という苗字

中学生の頃、野口という苗字の女の子がいた。
クラスメイトに口の悪い男子生徒がいて、大声で野口さんを「野グソ」と何度も呼んでいた。

野口という苗字の人間にとって一番言われたくないニックネームじゃないだろうか?


また、当時、病気で身長があまり伸びない男子生徒が同級生にいた。
彼は「野グソ」と言っていた生徒より口が悪かった。
彼に悪口を言われて不愉快な思いをした人間は多い。
だけど、彼の身体的なことには誰も触れなかった。

人を適度に傷付けられる人間が得をするのが人間社会なんだろうか?

バスで席を譲ろうとした少年

バスに乗っているとき、塾帰りの小学生くらいの少年が、60代くらいの男性に席を譲ろうとしていた。
善意に溢れた顔で目を輝かせながら良いことをしているという自信に溢れていた。

60代の男性はやんわり断った。
表情は強張り、自分はそんな年齢ではないと言いたげなくらい顔が真っ赤になって怒っていた。

しかし、少年はまるで気付かず、良いことをした満足感に浸っているような笑顔に溢れていた。

人間関係は難しい。

昔、ただの肥満女性を妊婦と間違えて席を譲ろうとしていた若者をみたこともある。
その時も若者は気付いていなかった。

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